他の立憲君主制国家(イギリスや北欧など)では、王室についてどのような国民的議論が行われているのか?

日本ではなかなか話題にできない「天皇制」の話ですが、海外の立憲君主制国家では**「王室は税金に見合う働きをしているか?」「現代社会に適応できているか?」**という視点から、日常的に、そして非常にシビアに議論されています。

大きく分けて「イギリス型(エンタメ・批判の対象)」と「北欧型(徹底した実用主義・スリム化)」の2つのパターンがあり、どちらも日本とは全く異なる議論の風景が広がっています。

 

1. イギリス:批判と監視の対象(「契約」の概念)

 

イギリスでは、王室は「神聖な存在」というよりも、**「国民との契約に基づく公的機関」あるいは「最高級のエンターテインメント・コンテンツ」**として扱われます。

  • コスト対効果の議論(Value for Money)

    王室予算(ソブリン・グラント)は常に国民の監視下にあります。「生活費が高騰して国民が苦しんでいるのに、戴冠式に巨額を使うのは妥当か?」といった議論がメディアで連日行われます。

    • 議論の結果: チャールズ国王は、こうした批判に応えるために「スリム化した王室(働く王族を減らし、経費を削減する)」を打ち出さざるを得なくなりました。

  • 廃止論の可視化

    「Republic(リパブリック)」という圧力団体が存在し、戴冠式などの重要な行事で「Not My King(私の王ではない)」というプラカードを掲げて堂々とデモを行います。これは反逆ではなく、**「正当な政治的意見」**として認められています。

  • タブロイド紙による容赦ない批判

    王族のスキャンダル(ヘンリー王子の離脱やアンドルー王子の疑惑など)は徹底的に暴かれます。これには「彼らは特権階級なのだから、その分、プライバシーを切り売りして国民を楽しませ、義務を果たすべきだ」という冷徹なギブ・アンド・テイクの考えがあります。

 

2. 北欧(スウェーデン・デンマーク・ノルウェー):実用性と平等の追求

 

北欧諸国は「平等の精神」が強いため、王室であっても特別扱いは最低限に抑えられます。議論の中心は**「王族の特権をどこまで削ぎ落とせるか」**です。

  • 「孫」の称号剥奪議論(スウェーデン・デンマーク)

    近年、スウェーデン国王とデンマーク女王は、自身の孫たちから「殿下」の称号を剥奪しました。

    • 理由: 「王位継承の見込みがない孫まで税金で養う必要はない」「彼らを王室の義務から解放し、自由に稼げるようにする方が幸せだ」という合理的判断です。

    • 国民の反応: 多少の家庭内騒動(ヨアキム王子が不満を漏らすなど)はありましたが、国民の多くは「現代的で妥当な判断」として支持しています。

  • 「王女のビジネス」への批判(ノルウェー)

    ノルウェーのマッタ・ルイーセ王女が、自称シャーマンの婚約者とともに「王女」の肩書きを使ってスピリチュアルなビジネスを行った際、猛烈な批判が起きました。

    • 議論の焦点: 「商業活動に王室の権威を利用するな」という点です。

    • 結果: 彼女は公務から退くことになりました。「公的な役割」と「私的なビジネス」の境界線を国民が厳しく監視しています。

 

日本との決定的な違い

 

これらの国々では、王室批判や議論が**「不敬」ではなく「王室を存続させるための健全なチェック機能」**として機能しています。

  • 日本: 議論しないこと(静安)が尊ばれる。→ 結果、変化への対応が遅れる。

  • 海外: 批判し、議論し、時代に合わせて形を変えさせる(ガス抜き)。→ 結果、支持率は維持される。

このように、海外では「好きか嫌いか」「役に立つか立たないか」という極めて現実的なレベルで議論が行われている点が、日本の「触れてはいけない空気」とは対照的です。