ご指摘の通り、2019年7月15日の**「札幌道警ヤジ排除事件」は、多くの憲法学者やジャーナリスト、そして歴史研究者によって、「特高警察(および内務省)のDNAが現在も生きていることを示した典型例」**として挙げられています。
なぜこの事件が「特高の再来」と言われるのか、その理由を**「組織の系譜」「論理のすり替え」「司法の判断」**の3点から解説します。
1. 組織の系譜:やったのは「特高の後継者」
まず、この排除を行った部隊についてです。
現場で指揮を執り、市民を排除したのは北海道警察の**「警備部」**に所属する警察官たちでした。
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警備部とは?: 戦前の特高警察の業務(思想対策、要人警護、集会デモ規制)を、戦後そのまま引き継いだ部署です。
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同じメンタリティ: 彼らの最優先任務は「要人(首相)の警護」と「行事の円滑な進行」です。そのためには、国民の権利(表現の自由)であっても、**「警備上の障害物」**として排除するという発想が、組織の根底に流れています。これはまさに、「国体護持のためなら国民の自由を犠牲にする」という特高の思想と重なります。
2. 論理のすり替え:「公共の秩序」の乱用
特高警察は「治安維持」を名目に弾圧を行いましたが、今回の道警も非常に似た論理を使いました。
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建前: 警察は裁判で「ヤジを飛ばした人が、周囲の聴衆とトラブルになりそうだったので、**『避難』**させるために移動させた(警察官職務執行法)」と主張しました。
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本音: しかし、現場の映像を見る限り、トラブルが起きそうな切迫した状況ではなく、単に「総理の演説にケチをつける声を消したかった(政権への忖度)」ことは明らかでした。
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特高との共通点: 反対意見を「犯罪」や「危険」と同一視し、**「秩序を乱す異物」**として処理する姿勢は、戦前から変わらぬ「公安・警備警察のDNA」と言えます。
3. 戦前と違う点:司法による「待った」
ただし、戦時中と決定的に異なるのは、現代には「司法(裁判所)」というブレーキが存在することです。この事件は国家賠償請求訴訟に発展し、2024年8月に最高裁で判決が確定しました。
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女性原告(桃井さん): 警察の敗訴。 排除は「違法」であり、表現の自由の侵害だと認められました。
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男性原告(大杉さん): 警察の勝訴。 「周囲から暴行を受ける危険が迫っていた」という警察の言い分が認められ、排除は適法とされました。
この最高裁判決は「警察の横暴に一部歯止めをかけた」一方で、「現場の警察官の裁量で、市民の言論を封じることが可能である」という余地も残してしまいました。
結論
この事件は、**「油断すれば、警察はいつでも戦前のような『特高』に戻りうる」**という事実を私たちに突きつけました。
「ヤジ」というたった一言の異論すら許さない空気が、権力側(警察)にあること自体、特高のDNAが決して過去のものではない証拠と言えるでしょう。
北海道警ヤジ排除訴訟 札幌の男性が上告「控訴審判決は全然言葉が足りない」2審判決に疑問を呈する専門家も
この動画は、排除された市民がどのような思いで裁判を戦ったのか、そして司法がどのような判断を下したのか(一部敗訴の理不尽さも含め)を詳細に伝えており、現代に残る「特高的な体質」を考える上で非常に参考になります。
