特高警察(特別高等警察)と、現在の公安警察(警備公安警察)には、**「組織」「人材」「手法」**の3つの点で極めて強い連続性、いわば「直系の子孫」としてのつながりがあります。
戦後の公安警察がいかにして特高のDNAを受け継ぎ、どのような活動を行ってきたのか、具体的に解説します。
1. 組織のつながり:名前を変えて復活
戦後、特高警察は一度解体されましたが、冷戦の激化とともに、GHQ(特にG2と呼ばれる諜報部門)の主導で「共産主義に対抗する組織」として再編されました。
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特高警察 → (一時解体・追放) → 公安警察
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現在、日本の警察組織の中で「公安」を統括しているのは警察庁警備局ですが、ここはかつて特高警察を指揮していた内務省警保局保安課の役割を事実上引き継いでいます。
2. 人材のつながり:特高官僚の復権
「逆コース」によって公職追放を解除された特高関係者たちは、警察組織の中枢に舞い戻りました。彼らは戦後の公安警察の基礎を作り、さらには政界へも進出しました。
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奥野誠亮(おくの せいすけ): 戦時中に内務省で特高課長を務めた人物ですが、戦後は自治事務次官を経て法務大臣や文部大臣を歴任。「特高のエリート」が戦後日本の教育や法のトップに立った象徴的な例です。
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現場レベルの復帰: 幹部だけでなく、現場でスパイ獲得や取調べを行っていた実働部隊も、「共産党の手口を知り尽くしている」として大量に再雇用されました。
3. 手法のつながり:特高DNAの継承
最も恐ろしいのは、特高警察が得意とした「非合法スレスレ(あるいは完全に違法)」な捜査手法が、戦後の公安警察にも引き継がれた疑いが濃厚な点です。
① 「自作自演」による弾圧:菅生(すごう)事件
特高の手法が色濃く出た戦後の事件として、1952年の**「菅生事件」が有名です。
大分県の駐在所が爆破された事件で、当初は共産党員の犯行とされ逮捕者が出ました。しかし後に、これが「公安警察による自作自演」**であったことが発覚します。
警察官が自らダイナマイトを仕掛け、共産党の仕業に見せかけて検挙する――これは戦前の特高がよく行った「謀略」そのものでした。
② スパイ獲得工作(「S」の運営)
特高は組織の中にスパイを潜り込ませることを得意としましたが、公安警察もこれを**「S(エス=Spyの頭文字)」**と呼び、重要視しています。
対象団体のメンバーの弱み(金銭トラブル、異性関係、社会的地位)を握り、脅しや利益供与によって協力者(スパイ)に仕立て上げ、内部情報をリークさせる手法です。
③ 象徴的な対立:白鳥事件
1952年、札幌市警の警備課長であった白鳥一雄が射殺された事件です。
白鳥警部は、戦中は特高警察として活動し、戦後はその経験を生かして共産党対策の陣頭指揮を執っていました。彼が殺害された(共産党関係者が疑われた)ことは、戦前からの「特高 vs 左翼」の戦争が、戦後も形を変えて続いていたことを象徴しています。
まとめ
戦後の公安警察は、単に治安を守るだけでなく、**「国家の体制(国体)を守る」**という特高警察のイデオロギーを色濃く残した組織として再出発しました。
現在でも、テロ対策という名目のもと、市民団体、労働組合、宗教団体、あるいは政権に批判的なジャーナリストなどが監視の対象になっていると言われています。その根底には、かつて「国を守るためなら何をしても許される」と考えた特高警察の影が見え隠れしているのです。
