山本五十六や東條英機などの役割と限界

先ほどの議論(日米戦争の構造的な要因や、組織的な問題点など)を踏まえ、山本五十六東條英機といったキーパーソンが、具体的にどのような役割を果たし、同時にどのような「組織的・構造的な限界」に直面していたのかを解説します。

彼らは単なる独裁者や好戦家というだけでなく、明治憲法下の**「欠陥のある統治機構」の中で苦闘した官僚・軍人**という側面が強いのが特徴です。


 

1. 山本五十六(連合艦隊司令長官)

 

役割: 海軍の現場トップ(作戦指導者)

イメージ: 真珠湾攻撃の立案者でありながら、対米開戦反対派。

 

果たした役割と功績

 

  • 対米戦の透徹した分析: 彼は米国駐在経験があり、デトロイトの自動車産業や油田を見ていたため、「アメリカと戦争になれば、物量で絶対に勝てない」ことを誰よりも理解していました。「最初の半年や1年は暴れてご覧に入れるが、2年3年となれば確信が持てない」という言葉は有名です。

  • 航空主兵への転換: 当時の常識だった「大艦巨砲主義(戦艦同士の撃ち合い)」を否定し、航空機による攻撃の有効性をいち早く見抜いていました。

  • 乾坤一擲の奇策(真珠湾攻撃): 和平交渉がまとまらない場合の「唯一の勝機」として、開戦劈頭に敵主力艦隊を叩き、早期講和に持ち込むという短期決戦シナリオを描きました。

 

直面した「限界」

 

  • 職域の壁(政治と軍事の分断): 山本はあくまで「一軍人」であり、政府の開戦決定を覆す権限はありませんでした。「戦うな」と政治決定させることはできず、「戦うと決まった以上、勝つ方法を考える」という職務に縛られました。

  • 短期決戦への固執とギャンブル性: 彼の作戦は「相手の戦意をくじく」という心理的・政治的効果を狙ったものでしたが、逆にアメリカ国民を激怒させ、長期戦へ引きずり込むトリガーとなってしまいました。

  • 海軍内の保守派との対立: 彼自身は航空戦力重視でしたが、海軍組織全体(軍令部など)は依然として戦艦決戦にこだわっており、ミッドウェー海戦などの重要な局面で作戦目的がどっちつかずになる原因を作りました。


 

2. 東條英機(内閣総理大臣 兼 陸軍大臣)

 

役割: 開戦時の首相、陸軍の統制者

イメージ: 日本のヒトラー、独裁者。

 

果たした役割と実像

 

  • 忠実な実務家(官僚): 彼は独創的なリーダーというより、決まった方針を確実に遂行する極めて優秀な「実務家」でした。昭和天皇の信頼も厚く、陸軍内の過激派を抑え込む役割を期待されていました。

  • 開戦の決断: 首相就任当初は、天皇の意向を受けて対米交渉の継続(戦争回避)を模索しました。しかし、「ハル・ノート(中国からの撤兵要求)」を突きつけられたことで、「これを飲めば日本は三等国に転落する」と判断し、開戦へ舵を切りました。

  • 戦時体制の構築: 首相、陸軍大臣、後に軍需大臣などを兼任し、権力を集中させて総力戦体制を作ろうとしました。

 

直面した「限界」

 

  • 「独裁者」になれなかった構造: ヒトラーやスターリンとは異なり、東條には海軍に命令する権限がありませんでした。

    • 明治憲法の「統帥権の独立」により、首相であっても軍の作戦(統帥)には口を出せなかったのです。

    • この図が示すように、政府(首相)と軍部(大本営)は並列であり、東條は陸軍大臣としては陸軍に命令できても、海軍や参謀本部(作戦立案部隊)をコントロールできませんでした。

  • 陸海軍の対立調整の失敗: 陸軍と海軍は予算や資材を巡って激しく対立しており(「陸軍は海軍を仮想敵国としている」と言われるほど)、東條でさえもこのセクショナリズムを解消できませんでした。結果、バラバラの戦略で戦争を進めることになりました。

  • 「空気」への敗北: 彼は法律やルールを重視するあまり、組織全体の「もはや引けない」という空気や、硬直した官僚機構の慣性を打破する政治的想像力に欠けていました。


 

3. その他の重要人物と「システム」の問題

 

個人の資質以上に、彼らを縛っていたのは**「誰も全体をコントロールできないシステム」**でした。

人物 役割 限界・問題点
近衛文麿 前首相 貴族出身で国民人気は高かったが、決断力に欠けた。日独伊三国同盟を締結してアメリカを刺激し、収拾がつかなくなると政権を投げ出した。「戦争への道筋」を作ってしまった人物。
永野修身 軍令部総長 海軍の最高意思決定者。「戦わざれば亡国、戦えば危うい。戦わずして亡国となれば魂まで失う」として開戦を追認。組織の論理を優先し、データに基づく反対をしきれなかった。
昭和天皇 君主 最終的な裁可権を持つが、立憲君主として「政府と軍部の決定」を覆すことは憲法運用上極めて困難だった(唯一の例外が終戦の聖断)。

 

結論:彼らはなぜ止められなかったのか

 

山本五十六も東條英機も、個人の能力においては優秀でしたが、以下の3つの壁に阻まれました。

  1. 統帥権の独立: 政治(外交)と軍事(作戦)が完全に分離しており、**「政治目的(国益)のために軍事を制御する」**というシビリアン・コントロールが制度的に不可能だった。

  2. 縦割り行政の弊害: 陸軍、海軍、外務省、企画院などがそれぞれの組織の利益(省益)を優先し、国家全体のグランドデザインを描けるリーダーが存在しなかった。

  3. 「空気」の支配: 合理的な判断(勝てないからやめる)よりも、「ここまで犠牲を払ったのだから引けない」「強硬論を吐く者が愛国者」という組織内の同調圧力が優先された。

つまり、彼らは「暴走した独裁者」というよりは、**「ブレーキのついていない巨大なバスの運転席に座らされた、真面目だが視野の狭いドライバーたち」**だったと言えるかもしれません。