カール・フォン・クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz, 1780–1831)は、プロイセン(現在のドイツ北部)の将軍であり、軍事学者です。
彼の死後、夫人のマリーによって編纂・出版された著書**『戦争論(Vom Kriege)』**は、孫子の『兵法』と並び、古今東西で最も重要な軍事哲学書とされています。
先ほどの日本の敗戦原因(政治と軍事の乖離)を理解する上でも、彼の理論はまさに「核心」を突いています。彼の主張のポイントをわかりやすく解説します。
1. 最大の格言:「戦争は政治の延長である」
これがクラウゼヴィッツの最も有名な言葉であり、その思想のすべてです。
「戦争とは、他の手段(武力)をもってする政治の継続にほかならない」
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意味: 戦争はそれ自体が目的(敵を倒すこと)ではなく、あくまで「外交交渉が決裂したときに、最終手段として使われる政治的な道具」に過ぎないということです。
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結論: したがって、「政治(政府)が軍事(軍隊)をコントロールしなければならない」(文民統制/シビリアン・コントロール)という原則が導き出されます。
【日本の失敗との対比】
先ほどの話に当てはめると、旧日本軍はこの原則を無視し、「開戦した以上は軍の独壇場であり、政治家は口を出すな(統帥権の独立)」と考えました。これはクラウゼヴィッツの教えとは真逆の、「手段(軍事)が目的(政治)を乗っ取った状態」でした。
2. 「摩擦(Friction)」と「戦場の霧」
彼は、机上の空論と現実の戦場の違いを、物理学の用語を使って説明しました。
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摩擦(フリクション):
地図上で計画通りに部隊を動かそうとしても、天候、兵士の疲労、恐怖、誤解、予期せぬトラブルなど、無数の小さな障害が起こります。これを「摩擦」と呼びました。「戦争においては、極めて単純なことでも、極めて難しい」という名言を残しています。
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戦場の霧(Fog of War):
指揮官は、敵の動きや戦場の状況について、常に不確実で不完全な情報しか持てません。この不透明な状況を「霧」と呼びました。
【日本の失敗との対比】
旧日本軍は、精神論を重視するあまり、この「摩擦」や「霧」を軽視しました。「行軍が遅れるのは気合が足りないからだ」「補給が続かないのは精神がたるんでいるからだ」として、現実の物理的制約(摩擦)を無視した作戦を立て続けました。
3. 重心(Center of Gravity)
敵を倒すためには、敵の力の源泉である「重心」を見極め、そこに全力を集中して打撃を与えなければならないと説きました。
重心は、敵の主力部隊であることもあれば、首都(政治中枢)であることもあり、同盟国との関係であることもあります。
4. 三位一体(Trinity)
戦争は以下の3つの要素のバランスで成り立つとしました。
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国民の情熱(暴力・憎悪)
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軍隊の蓋然性(運・才能・勇気)
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政府の理性(政治的目的・政策)
この3つがバランスよく機能しなければ、戦争は暴走するか、遂行不可能になります。
なぜ旧日本軍はクラウゼヴィッツを活かせなかったのか?
実は、旧日本陸軍はプロイセン(ドイツ)に学んでいたため、クラウゼヴィッツの研究自体は行われていました。しかし、彼らは『戦争論』のごく一部、「殲滅戦(敵を全滅させること)の重要性」や「精神力の重要性」ばかりをつまみ食いしました。
最も重要な**「政治による軍事のコントロール」という本質的な部分は、「統帥権の独立」を正当化するために、意図的に無視あるいは軽視された**のです。
現代への教訓
今日、クラウゼヴィッツは軍事だけでなく、ビジネススクールでも「経営戦略」の古典として読まれています。「目的(経営理念・利益)を見失わず、手段(技術・営業)に振り回されてはいけない」「現場の摩擦(トラブル)を計算に入れる」といった考え方は、現代のあらゆる組織運営に通じるからです。
クラウゼヴィッツについて、さらに「孫子との違い」や、彼の理論が「現代の核兵器の時代」にどう解釈されているかなど、気になる点はありますか?
