戦後に“教訓が十分活かされなかった部分”の考察

先の議論「なぜ日本があの戦争で致命的な判断ミスをしたのか」の核心にあった**「希望的観測への依存」「責任の所在の曖昧さ」「空気による支配」**といった要素は、戦後の日本社会においても、形を変えて色濃く残っているという指摘は多くの識者によってなされています。

戦後の復興と経済成長は目覚ましいものでしたが、その成功体験ゆえに温存されてしまった**「教訓が十分活かされなかった(あるいは忘却された)構造的な欠陥」**について、いくつかの重要な視点から考察します。


 

1. 「無責任の体系」の温存(組織論の欠如)

 

丸山眞男が指摘した「無責任の体系」は、戦後も官僚機構や大企業の中に強く残りました。

  • トップの責任回避:

    戦時中、誰が戦争を始めたのか、誰が止める権限を持っていたのかが不明確でした。戦後も、不祥事や政策の失敗において、組織のトップが「部下のやったこと」「知らなかった」として実質的な責任を取らず、辞任という儀式だけで済ませるケースが後を絶ちません。

  • ボトムアップの弊害(既成事実化):

    現場(関東軍など)が独走し、中央がそれを追認する形があの戦争を拡大させました。戦後も、現場の過剰な忖度や、各省庁・各部署の「縦割り」による利益誘導が全体の国益や経営戦略を阻害する現象(合成の誤謬)が頻発しています。

 

2. 「希望的観測」と「兵站(ロジスティクス)軽視」

 

「神風が吹く」「精神力で勝てる」といった客観的データを無視した精神主義は、戦後のビジネスや社会問題への対応にも影を落としています。

  • 根拠なき楽観論:

    バブル経済の崩壊や、少子高齢化問題への着手の遅れは、「なんとかなるだろう」「右肩上がりは続く」という希望的観測に基づいた計画が破綻した典型例です。不都合なデータを軽視し、都合の良いシナリオのみを採用する傾向は、戦中の「大本営発表」的な体質と共通しています。

  • 「補給」の軽視:

    旧日本軍は兵站(補給・輸送)を軽視し、現地の収奪や精神論で補おうとしました。これは現代の「ブラック企業」問題や、長時間労働是正の遅れに通じます。リソース(人員・予算・時間)の限界を無視し、「現場の頑張り」だけで帳尻を合わせようとするマネジメントは、戦時中の発想から脱却できていない部分と言えます。

 

3. 「空気」による意思決定(同調圧力)

 

山本七平が『「空気」の研究』で論じたように、論理的な議論よりもその場の「空気」が決定権を持つ構造です。

  • 反対意見の封殺:

    開戦前夜、「戦争に反対するのは非国民」という空気が支配しました。現代でも、会議で論理的にリスクを指摘する人間が「KY(空気が読めない)」として排除されたり、明らかに間違った方向性であっても「全会一致」が美徳とされる風潮が強く残っています。

  • プランBの欠如:

    「負けた時のこと(撤退計画)」を考えること自体がタブー視された戦時中と同様、戦後も「失敗した時の次善の策(コンティンジェンシープラン)」を用意することを、「やる気を削ぐ」「縁起でもない」として嫌う傾向があります。これにより、一度失敗すると被害が甚大になりがちです。

 

4. 「1940年体制」の継続

 

興味深い視点として、**「戦後の成功こそが、戦時中のシステムの産物だった」**という説(1940年体制論)があります。

  • 総力戦体制の平時転用:

    官僚主導の統制経済、銀行中心の間接金融、終身雇用的な労働慣行など、戦後の高度経済成長を支えた仕組みの多くは、実は戦争遂行のために1940年前後に導入されたものでした。

  • 成功体験の呪縛:

    このシステムがあまりにうまく機能して復興と成長を成し遂げたため、時代が変わり(グローバル化、IT化)、そのシステムが制度疲労を起こしてからも、根本的な「OSの書き換え」ができませんでした。「戦時体制を平時の平和国家運営に使い続けてしまった」ことが、バブル崩壊後の「失われた30年」の一因とも考えられます。

 

5. 情報インテリジェンスの軽視

 

あの大戦での最大の敗因の一つは、暗号解読を含めた「情報戦」での敗北でした。

  • 情報の軽視:

    情報の収集・分析よりも、組織内の力学や情実が優先される傾向は戦後も続きました。福島第一原発事故における情報の錯綜や、近年のデジタル化の遅れ(DXの停滞)は、客観的な事実(データ)を直視し、迅速に共有・処理する能力が、組織文化として根付いていなかったことを示唆しています。


 

結論:ハードウェアは変わったが、ソフトウェアが変わらなかった

 

戦後、日本は憲法を変え、軍隊を解体し、都市を復興させました(ハードウェアの刷新)。しかし、組織の中での**「人の動き方」「意思決定のプロセス」「責任の取り方」(ソフトウェア)**に関しては、明治以来、あるいは戦時中の習慣をそのまま引き継いでしまった部分が多々あります。

「失敗の本質」を直視し、それを具体的な「仕組み(システム)」で解決するのではなく、「個人の反省」や「道徳」の問題に矮小化してしまったこと。これこそが、戦後最大の「活かされなかった教訓」かもしれません。


この視点について、さらに掘り下げたい分野はありますか?(例:経済組織における類似性、教育面での影響、あるいは具体的な事例についてなど)